ゴールデンウィークが終わってすぐに曇ってきました。雪の中でもボディーボードをするという目標は、はたして・・・(まぁ、体力をつけなくても入ってしまえばいい訳ですが・・・やはり海に入るには何かしら自信が必要なわけです。)
沖縄の問題、中国という現実の脅威にもみくちゃにされ、冷静な分析の本より日々のニュースに目を奪われがちですが、そういう時こそ昔の古典や理論的な分析の本にも手を伸ばしたいものです。
という訳で、今日はクラウゼヴィッツ。
最近は、第5編「戦闘力」に重点を置いて読んできました。この第5編は「戦闘力の使用」に焦点を絞るというクラウゼヴィッツの方針のいわばグレーゾーンともいえる部分です。つまり、「戦闘力の創造・維持」という要素に片足を入れているため、本気でこれを極めようとすると経済、科学などあらゆることに手を広げていかなくてはならなくなります。
クラウゼヴィッツはそれについて警鐘をならしています。「戦闘力の創造・維持」のうち、「維持」(補給・管理・編成などが含まれる)は、軍事行動と同時あるいは交互に活動が行なわれることから「戦闘力の使用」との関連を考慮しながらも取り扱いに慎重を期しています。
この分野では、
●『補給線』(マーチン・ファン・クレフェルト著、中公文庫BIBLO)
という著作が、クラウゼヴィッツに大いに触発された考察として注目されています。戦略は「現実」から離れていくらでも大きな羽を羽ばたかせることができる。しかし、その戦略は、「現実」に打ち落とされてしまうのだという考察です。(クラウゼヴィッツの意見は、第2編第2章9「軍隊の補給」を参照)
さて、第2編第1章のタイトルは「戦争術の区分・兵学の区分」ですが、副題をつけるとしたら「-私たちは戦争の何を分析対象にし、何を除外すべきか-」ということになるでしょう。
「戦争に関連する活動」を2つに分けて考えることが、この章のポイントとなっています。
「戦争に関連する活動」
(1)戦闘力の使用(狭義の戦争術)→考察対象の核心
(2)戦闘力の準備(広義の戦争術)
(ア)戦闘力の創造・訓練 →考察から除外(と言っても何度か書いてある)
(イ)戦闘力の維持 →戦闘力の使用とのグレーゾーンであり注意を要する
クラウゼヴィッツは、戦争を理解するうえで最も重要な要素は「闘争」だと考え、闘争の1つの形態としての「戦闘」を戦争における本質的な要素としました。『戦争論』は、勝つ方法について論じているというより、「戦争」を記述し、「戦争に関連する活動」を明確な要素に分け、それぞれの要素の関連を分析しようとする本です。
「戦闘」では、(2)で準備された戦闘力を既に与えられたものとして捉え、考察から除外する方法が採用されています。ただ、与えられた戦闘力をどのようにしたら有効に使用できるか、そして戦闘力の使用によってどのような結果がもたらされるかについてのしっかりした理解が必要となります。先程の分析対象との関連では、それだけを考察するべきだと言っています。
この点では、核兵器の有効な使用とそこから得られる結果・効果について考察した
『核兵器と外交政策』(H・A・キッシンジャー著)
のような研究が政治家などに必要となってくるでしょう。衆議院議員の方々は余裕はないかもしれませんが、参議院議員の方々は地位がある程度保障されているのでじっくりと研究し、その結果を広く国民に公表していただきたいと思います。
(1)「戦闘力の使用」に関する理論
「戦闘力の使用」、つまり戦闘は、1回で終了することはあまりありません。
ナポレオンのロシア戦役(1812年)における戦闘は、ネマン川の突破(6月)、スモレンスクの戦い(8月)、ボロジノの戦い(9月)、モスクワ入城(9月)、モスクワ撤退(10月)、ベレジナ河の渡河退却(11月)、ナポレオンのパリ帰還(12月)など複数の戦闘が発生します。
また各軍団に分かれ、それぞれが部隊に分かれているためそれぞれの戦闘においても複雑なものとなっています。
これが130年ほど過ぎた1941年からの独ソ戦では、戦闘は100近く、それぞれが軍集団、正面軍などに分かれ非常に膨大なものになります。
クラウゼヴィッツは、この「戦闘の単位」について空間と時間という要素から一応のまとまった概念を作っています。
「戦闘の単位」(第5編2章参照)
(ア)空間・・・同時に発生する数々の戦闘では、「個人の命令が届く範囲」
(イ)時間・・・続々と発生する数々の戦闘では、「戦闘の危機が完全に終わるまで」
この「戦闘単位」をどのように組み合わせ、どのように使用するのか考察することが、『戦争論』における核心的なテーマとなります。1800年頃、様々な人が戦略、戦術という言葉を根拠はないものの使い分けてきたことに対し、何か重要なことが含まれていると評価しながらも明確な根拠がないと批判し、クラウゼヴィッツは理論化を試みます。
「戦略と戦術」
(ア)戦略・・・各戦闘の価値を評価・利用すること
●戦闘を目的と関連させ組み合わせる活動
●目的を達成するため戦闘の使用の仕方を決める活動
●戦闘を使用すること
(イ)戦術・・・各戦闘を形作ること
●戦闘の組立てと実行
●各戦闘での戦闘力の使用方法
この戦略と戦術の概念は、後に見る「戦闘力の維持」というグレーゾーンで複雑な要素を明確に区分するときにも利用されています。
(2)(イ)「戦闘力の維持」についての理論
「戦闘力の維持」は、近年非常に注目されている補給、管理、編成を対象にしているものです。これは、「戦闘力の使用」と同時に行なわれたり、「戦闘単位」の間に行なわれたりするため、「戦闘力の使用」と切っても切れない関係にあります。厳密には、「戦闘力の準備」にあたり考察対象からは外れますが、重要なものとして第5編・戦闘力の部分で綿密な考察を行なっています。
「戦闘力の維持」・・・「戦闘力の使用」との関連で
(ア)関連が深い
●行進(第5編10、11、12章)
●野営(第5編9章)
●舎営(第5編13章)
→これらは各戦闘の価値の評価という点では戦略的側面、各戦闘を形作ることという点では戦術的側面をもって評価・分類すること
(イ)関連が浅い・・・「戦闘力の使用」に何らかの影響は与える
●糧食(第5編14章「給養」)
●治療
●武器装備の補給(第2編2章9)
→結果のみを考慮すること
戦略、戦術という言葉は、現在ではさらに幅広い分類がなされていますが、クラウゼヴィッツが考察したように「戦闘力の創造・維持」という膨大な要素を取り入れるものとなっているようです。1人ではなく、幅広い人たちを巻き込んだ議論というものが必要なのかもしれませんね。
沖縄の問題、中国という現実の脅威にもみくちゃにされ、冷静な分析の本より日々のニュースに目を奪われがちですが、そういう時こそ昔の古典や理論的な分析の本にも手を伸ばしたいものです。
という訳で、今日はクラウゼヴィッツ。
最近は、第5編「戦闘力」に重点を置いて読んできました。この第5編は「戦闘力の使用」に焦点を絞るというクラウゼヴィッツの方針のいわばグレーゾーンともいえる部分です。つまり、「戦闘力の創造・維持」という要素に片足を入れているため、本気でこれを極めようとすると経済、科学などあらゆることに手を広げていかなくてはならなくなります。
クラウゼヴィッツはそれについて警鐘をならしています。「戦闘力の創造・維持」のうち、「維持」(補給・管理・編成などが含まれる)は、軍事行動と同時あるいは交互に活動が行なわれることから「戦闘力の使用」との関連を考慮しながらも取り扱いに慎重を期しています。
この分野では、
●『補給線』(マーチン・ファン・クレフェルト著、中公文庫BIBLO)
という著作が、クラウゼヴィッツに大いに触発された考察として注目されています。戦略は「現実」から離れていくらでも大きな羽を羽ばたかせることができる。しかし、その戦略は、「現実」に打ち落とされてしまうのだという考察です。(クラウゼヴィッツの意見は、第2編第2章9「軍隊の補給」を参照)
さて、第2編第1章のタイトルは「戦争術の区分・兵学の区分」ですが、副題をつけるとしたら「-私たちは戦争の何を分析対象にし、何を除外すべきか-」ということになるでしょう。
「戦争に関連する活動」を2つに分けて考えることが、この章のポイントとなっています。
「戦争に関連する活動」
(1)戦闘力の使用(狭義の戦争術)→考察対象の核心
(2)戦闘力の準備(広義の戦争術)
(ア)戦闘力の創造・訓練 →考察から除外(と言っても何度か書いてある)
(イ)戦闘力の維持 →戦闘力の使用とのグレーゾーンであり注意を要する
クラウゼヴィッツは、戦争を理解するうえで最も重要な要素は「闘争」だと考え、闘争の1つの形態としての「戦闘」を戦争における本質的な要素としました。『戦争論』は、勝つ方法について論じているというより、「戦争」を記述し、「戦争に関連する活動」を明確な要素に分け、それぞれの要素の関連を分析しようとする本です。
「戦闘」では、(2)で準備された戦闘力を既に与えられたものとして捉え、考察から除外する方法が採用されています。ただ、与えられた戦闘力をどのようにしたら有効に使用できるか、そして戦闘力の使用によってどのような結果がもたらされるかについてのしっかりした理解が必要となります。先程の分析対象との関連では、それだけを考察するべきだと言っています。
この点では、核兵器の有効な使用とそこから得られる結果・効果について考察した
『核兵器と外交政策』(H・A・キッシンジャー著)
のような研究が政治家などに必要となってくるでしょう。衆議院議員の方々は余裕はないかもしれませんが、参議院議員の方々は地位がある程度保障されているのでじっくりと研究し、その結果を広く国民に公表していただきたいと思います。
(1)「戦闘力の使用」に関する理論
「戦闘力の使用」、つまり戦闘は、1回で終了することはあまりありません。
ナポレオンのロシア戦役(1812年)における戦闘は、ネマン川の突破(6月)、スモレンスクの戦い(8月)、ボロジノの戦い(9月)、モスクワ入城(9月)、モスクワ撤退(10月)、ベレジナ河の渡河退却(11月)、ナポレオンのパリ帰還(12月)など複数の戦闘が発生します。
また各軍団に分かれ、それぞれが部隊に分かれているためそれぞれの戦闘においても複雑なものとなっています。
これが130年ほど過ぎた1941年からの独ソ戦では、戦闘は100近く、それぞれが軍集団、正面軍などに分かれ非常に膨大なものになります。
クラウゼヴィッツは、この「戦闘の単位」について空間と時間という要素から一応のまとまった概念を作っています。
「戦闘の単位」(第5編2章参照)
(ア)空間・・・同時に発生する数々の戦闘では、「個人の命令が届く範囲」
(イ)時間・・・続々と発生する数々の戦闘では、「戦闘の危機が完全に終わるまで」
この「戦闘単位」をどのように組み合わせ、どのように使用するのか考察することが、『戦争論』における核心的なテーマとなります。1800年頃、様々な人が戦略、戦術という言葉を根拠はないものの使い分けてきたことに対し、何か重要なことが含まれていると評価しながらも明確な根拠がないと批判し、クラウゼヴィッツは理論化を試みます。
「戦略と戦術」
(ア)戦略・・・各戦闘の価値を評価・利用すること
●戦闘を目的と関連させ組み合わせる活動
●目的を達成するため戦闘の使用の仕方を決める活動
●戦闘を使用すること
(イ)戦術・・・各戦闘を形作ること
●戦闘の組立てと実行
●各戦闘での戦闘力の使用方法
この戦略と戦術の概念は、後に見る「戦闘力の維持」というグレーゾーンで複雑な要素を明確に区分するときにも利用されています。
(2)(イ)「戦闘力の維持」についての理論
「戦闘力の維持」は、近年非常に注目されている補給、管理、編成を対象にしているものです。これは、「戦闘力の使用」と同時に行なわれたり、「戦闘単位」の間に行なわれたりするため、「戦闘力の使用」と切っても切れない関係にあります。厳密には、「戦闘力の準備」にあたり考察対象からは外れますが、重要なものとして第5編・戦闘力の部分で綿密な考察を行なっています。
「戦闘力の維持」・・・「戦闘力の使用」との関連で
(ア)関連が深い
●行進(第5編10、11、12章)
●野営(第5編9章)
●舎営(第5編13章)
→これらは各戦闘の価値の評価という点では戦略的側面、各戦闘を形作ることという点では戦術的側面をもって評価・分類すること
(イ)関連が浅い・・・「戦闘力の使用」に何らかの影響は与える
●糧食(第5編14章「給養」)
●治療
●武器装備の補給(第2編2章9)
→結果のみを考慮すること
戦略、戦術という言葉は、現在ではさらに幅広い分類がなされていますが、クラウゼヴィッツが考察したように「戦闘力の創造・維持」という膨大な要素を取り入れるものとなっているようです。1人ではなく、幅広い人たちを巻き込んだ議論というものが必要なのかもしれませんね。
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by Naotaka_Uzawa
| 2010-05-07 23:43
| クラウゼヴィッツ:戦争論読解