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政治哲学

これはすごい!!!


<18:30~24:10>

ハーバード白熱教室(wikipedia)


1.個人的なリスク
「哲学は私たちを慣れしたんだものから引き離す。新しい情報をもたらすことによってではなく、新しい物の見方を喚起することによって引き離すのだ。しかし、ここにもリスクが有る。慣れ親しんだものが見慣れないものに変わってしまえば、それは2度と同じものにはなり得ない。自己認識とは純真さを失うようなものだ。不安を感じるだろうが私たちは皆そんな思いを経験し、探求を続けてきた。この試みを難しく、しかし面白くしているのは道徳や政治哲学は物語であり、その物語がどこに連れていってくれるかは分からないが、それが自分についての物語であることは分かっている。」


ギリシアの哲学者で、それに気づいて大声で泣いた人はエンペドクレスだったかな・・・エンペドクレスは、もともとはギリシアの伝統に深く根付いた人だったという。それがギリシアの伝統を対象に据え内心では嘲っていた(あるいはそこに至ってしまうことに気付いていた)ピタゴラスの主観に触れた瞬間、エンペドクレスはそれまでギリシアの伝統から祝福されている自分から引き離されてしまったのだと言う。


これは、キリスト教などの文書化され知的に見えるものに憧れを持ち、アニミズム的な宗教を皮肉る知識人に初めて触れた純真な人のようなものだろう。これは今でもよく見ることができる。例えば習俗を守って生きてきた人々を取材し、再び訪問する番組が放送される。再び訪問すると文明的ではないとして服を着せられ(Tシャツ)、それまでの文化を放棄した集団になっていたという内容だ。その人々を見ると、確実に目の輝きを失っているようにも見える。


江戸から明治の初期においても、この対立は非常に深刻なものだった。武士は抵抗を始め、西南戦争などが起きている。しかし、日本のこの問題に対処する方法は、私たち自身の表現で言えば「和洋折衷」というもの。ただ、敗戦後(特に冷戦終結後)はまさに地崩れ的な崩壊を目にしているような気がする。


哲学は伝統的なものを表現すべきなのか、それとも伝統的なものを対象として扱うべきなのか・・・「理性の不安」を批判的に扱う哲学も、そういういえばあった。


2.政治的なリスク
確かに、クラウゼヴィッツを読んで考えているというのは、日本では大きなリスクだ。「悪い市民」として扱われる(かもしれない)。でも続けよう、「ビジネス・スクール」には行かない!(と、いう気持ちで・・・)(笑)


非常に判断が難しい例がどんどん出てきます。映像を見ながら1つ1つ考えてみるといいかもしれません。


一方、日本の首相が公にこの議論を始めて、悩んでいるとしたら・・・アメリカや中国、世界の多くの国は大いにつけこんでくるだろう・・・日本における正義・公正の議論は、実際の政治家に求めるより、情報を伝えるマスコミに求められるべきかもしれません。海外の政府が流す情報を垂れ流すのではなく、それを否定的に伝える情報を同時に伝えたり、「単なる聞き伝えの情報です」と明示すること。敗戦の反省とは主権に関する事実を伝える際に政府の失敗を隠すことに加担していたことであり、決して事実を伝えないことによって平和の雰囲気を作り出すことではないことなど精神的なあり方を要求するべきかもしれませんね。


根本的な反省が、反省を叫ぶ番組の内容とは裏腹に何もなされていないように感じるからです。


個人的には、普遍化と強制がどのような関係なのかとても気になります。
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-31 01:00 | 哲学・科学

第1編第5章 肉体的労苦

肉体的な苦痛は、戦争における摩擦の最も大きい要素の一つ。


寒さ、暑さ、渇き、飢え、疲労などの肉体的な苦痛は、戦争に大きな影響を与え、判断を大きく歪ませてしまう。そのような状況で下される判断は客観的には正しくないとしても、対象との関係を示しているという点で主観的には正しいと言える。しかし、その判断は、甘く厳密さを欠き、正しい認識を受け入れられない精神的な狭さを抱えている。


肉体的な苦痛は、「戦闘力の使用」に悪影響を与える。


その主な点は以下の2つ。
●戦争で必要とされる理性・感情をだめにしてしまう。
●戦闘力の最大限の使用を制限してしまう。


司令官には、苦労を強制しその状態を長い間維持するという精神力が必要となってくる。


またそれを可能にする技術が必要となる。

•1編3章、「体力・精神力・健全な常識・状況の全体を把握する理性」が挙げられています。
1編8章、演習のあり方


(注意点)肉体的な苦痛を敗北時に語り、敗北の印象を薄めるようなことはすべきでない。これを躊躇する感情は、より高い次元の判断力といえる。
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-28 00:13 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解
『戦争論』の第1編3章「軍事的天才」では、同編4~8章で考察される「摩擦・障害」に対して必要とされる精神の諸表現が考察されています。

ここでのポイントは、「理性」と「感情」です。この章を読んでいると、「理性と感情の融合やバランスが大切だ」と割りきってもよさそうですが・・・戦史を読むとき、様々な精神を理解しようとしたり、想像しようというときのガイドになりそうな部分だと考えています。ただ、どんなに言葉を尽くしても、体験した人の領域には達することができないでしょう。クラウゼヴィッツはところどころで「読書人」という言葉を使って戒めています。

よくよく考えると「理性」は、不思議なものです。全体、あるいはそのもの自体を推論して把握しようとするものだからです。クラウゼヴィッツは、この章の後半の「地形感覚」の部分で、推論を想像力に置き換えて話してもいますね。

理性 - Wikipedia」の「理性と情動」のところが参考になります。

●理性・・・ゆっくり働き、長期的な利益を考える。大脳新皮質と関連。進化的には比較的新しい。
●情動・・・即座に反応し、短期的な利益(主に生存、繁殖)を考える。大脳辺縁系と関連。進化的には古い部分。

この2つが相互補完あるいは並列的に判断・意思決定に関わっている。

クラウゼヴィッツは決断心の部分で、観察する力[感性・悟性]と感情が別々に強いだけでは駄目だという形でまとめていたり、神経系統の話につながりそうだと予想しています。(ただし、深入りしないで、戦争論の考察対象に絞るよう慎重になっている。)

戦争の場合は、クラウゼヴィッツがいうように感情が非常に重要な要素だがそれだけでは駄目だというのが理解できる説ですね。

日本人の場合、ついつい「その場が治まれば」と相手に合わせて何かをあげてしまうので、もっと「理性的に」生きたいところです。

< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安 >
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この章は非常に多くのことを考察しています。読んでいるうちに、今は何を読んでいたのかと迷ってしまわれる方も多いのではないでしょうか?私はワードのアウトライン表示を利用して読んでいました。この方法だとある程度迷わずにこの章の構造を見失わずに読むことができます。かなり文章の構造が深いです。

(2)「戦争において必要とされる精神の様々な表現」の部分はさらに深い構成となっています。この章の一番重要な部分です。


< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安(2) >
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まずは第1編第1章28を見ておきましょう。

【第1編第1章28

(1)敵意、反感、憎悪などで非常に激しい状況になるという要素
   →主に国民に属す領域(1編1章3)
(2)敵の状況の見込み・可能性を推測・予想しそれに基づいて行動するという賭け事のような要素
   →最高司令官と軍に属す領域(1編1章18~22、特に21・22)
(3)政治的な目的を達成するための道具
   →主に政府に属す(1編1章23~27)


戦争は、これら3つの要素をありのままの形で考察するべきで、状況によって様々な形で現れてくるからどれかを無視したり無理な設定を作るべきではない。】

[(2)と(3)の関係]
この第1編3章「軍事的天才」は、上記(2)の最高司令官と軍に属す領域でどのような精神的要素が必要となるかを考察しています(1編1章21、「戦争遂行上、必要な精神的力」)。最高司令官の認識は全ての国家関係をしっかりと見通す政治家のレベルまで達していなければならないが、与えられた手段のなかで行動しなければならない点が政治家と異なるという結論になります。

1編1章21では「勇気」が、最も重要な精神的力だとされています。

[(1)と(2)の関係]
国家(あるいは勢力)における、「国際関係と各国家内部の状態」に軍事的天才が出現するかどうかは依存している。理性が発達している勢力ほど、出現する可能性は高い。(1編1章3)

では、少しずつ具体的に、



(1)考察対象となる「天才」とはどういうものか?

天才という言葉は、様々なシーンで使われます。テレビを見ていると非常にたくさんの人を「天才」と形容し、「本当に天才ってこんなにたくさんいるのかな?」と疑問がわいてきます。

ここでは第2編第1章で『戦争論』の考察対象とされた「戦闘力の使用」の領域において優れた運用を行い、結果を残すことです。それに必要な精神的資質を考察することがこの章のポイントとなります。

軍事行動を手際よく遂行する際に必要となる、なかなか理解することが難しい精神力」、これがこの章で追求していく対象です。

クラウゼヴィッツは、具体的な考察に入る前に指針を示しています。

「なかなか理解が難しい精神力」というものは、「理性・感情から現れる様々な精神力が軍事行動に向けて矛盾することなく結合していなければならない。」(例えば、「勇気」はあるのに全体像を把握する「理性」がない場合などは軍事行動に向けた様々な精神力が矛盾し結合していない。)

戦争において精神の、ある要素が目立つことはあっても、決して矛盾していないような精神の持ち主が、ここでの「軍事的天才」ということになります。


(2)戦争で必要とされる精神の様々な表現
    >感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>危険


< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安(3) >
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ここまで細かいとヘトヘトになりますね。この部分では、「責任を引き受ける勇気」は考察されません。これは、後に見る「決断心」のところで書かれています。

「個人的な危険に直面した時の勇気」を2つの要素に分けていますが、それはそれぞれ違った効果があると考えているためだと思われます。クラウゼヴィッツは、両方の意義を認め比較します。

<それぞれの勇気の効果>
「無関心から生まれる勇気」・・・安定的、永続的、理性
「積極的動機から生まれる勇気」・・・活動力を刺激する、大胆さ、感情(≒理性が曇る時がある)

より高い次元の勇気は、両方が混ざり合ったものだ」と書いてあります。



    >感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>肉体的な苦痛


→体力、精神力、健全な常識が苦痛を乗り越えるのに必要。(1編5章参照)



    >感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>不確実性・蓋然性


戦争において必要となる敵国、軍のすべての事柄を情報といい、予想・行動のための根拠とする(1編6章「情報」)。しかし、この根拠となる情報の4分の3は霧の中に包まれていて分からない。よって、優れた理性による推論で状況を把握する必要がある。(1編1章10,11,18,19参照)

(計画・予想と実行の間にある困難は第1編6章)
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-26 22:30 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解
「戦争とは危険なものだ」、「蝶が空気を飛ぶように、魚が水中を泳ぐように、戦争では危険のなかで行動することになる」というように、クラウゼヴィッツは『戦争論』のあちこちで「危険」を強調しています。現在生きている私たちは、確かに2度の世界大戦、アメリカとの戦争などを話や映像を通じて知っているため、この危険を知っているようにも思えますが・・・実際は、おそらく何もわかっちゃいないはず。


戦争論における精神的な事柄を扱う部分は、読書家が語るには荷が重すぎるものです。正直に言うと、非常に後ろめたい気持ちになるものです。(3編1章)平和を声高に叫ぶ人も、実際には「戦争における危険」を知らないため、その後ろめたさを内に秘めているものと考えられます。何事も声高に叫ぶ場合は後ろめたさがあるものなのかもしれません。しかし、仲間同士足の引っぱりあいをしていても仕方がありません。


「もう二度と戦争はしない」という政治的な表現はともかく、個々人の実際上の表現としては「もう二度とあんな思いをしたくない」という素朴なものです。しかし、この実感を伴った世代はおそらく「抑止力」を本能的に体感していたのかもしれません。世代が変わるにつれ、「戦争における危険」を実感できなくなり、「抑止力」が単なる安全保障学を学ぶ人の定義の暗記のようなものになってしまったのでしょう。


これは推測ですが、専門家も実感などしていなかった・・・と考えています。私たち日本人のほとんどが今年に入って実感しつつあるというのが本当のところなのかもしれません。


さて、この章でクラウゼヴィッツは、戦争における危険を読者に理解してもらうため【戦場の近くに来た時→軍司令官・幕僚→師団長→旅団長→交戦部隊】とそれぞれの階層における危険の印象を描きだしています。もう、5年ほど前になるでしょうか、塾で中学生と一緒に、『西部戦線異状なし』を観たときとほぼ同じような叙述をここで読むことができます。


そこでは、砲弾の音への集中、動揺、平静・落ち着きの喪失、呆然など様々な心の状態が描き出されます。


「戦争を知らない人は、実戦での危険を実感できない。戦争を考えると全て単純に見え簡単に勝利できると想像しがちだが、実際は違う。心を高揚・満足させる瞬間はほとんどなく、戦争の経過は徐々に進行するため勝利で歓喜に沸く瞬間もない。最初の危険を通り過ぎると、ほとんどの人が決断力を失うものだ。確かに30分もすればその環境に麻痺し無関心になるが、平静さや心の弾力性を取り戻すことは通常できない。」


戦争における危険は、軍事行動における摩擦の1つだと語ります。


そして「責任が増える(階級が上がる)につれ、精神的な能力の高い人(天才)が必要となる。熱狂的あるいは禁欲的、または生来的な勇気、強い名誉心、危険に対処する長年の経験などを身につけている必要がある。」と、摩擦に対処する精神的な要素を挙げています。


詳細は、第1編3章「軍事的天才」、第2編3章18,19などで軍事行動において必要とされる精神の様々な表現が考察されます。
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-17 01:05 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解

『アバター』

a0005366_204319100.jpga0005366_20433418.jpg話題になっていた『アバター』を観ました。SF版、『アラビアのロレンス』じゃないだろうか・・・仲間になるまでの苦労はアバターの方がツラそう。

だんだんと本当の自分より自分らしいと感じ始めるあたりは、南国に少しいた経験があるので納得です。帰るのヤダな・・・(笑)
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-14 20:47 | 日記・読書・映画

軍事史

a0005366_23292670.jpgクラウゼヴィッツ - 戦争論の誕生』(ピーター・パレット著、白須英子 訳)

もし読書に費やしたい時間があるなら、むしろ軍事史を読むことを奨めます。諸君が将来、自分の考えを系統的に整理したり、展開したりする必要にせまられたときだけ、私が推薦した著書(理論の本)をもう一度読めばよろしい。そして『もし自分があらゆる先入観を無視し、紋切型の法則で自分を縛るまいと思うなら、どの著者の言い分が真実か?』と自問してみること。

最後に、諸君がこの講義を時には思い出し、さらに思索を深めることを祈ります。」
(カール・フォン・クラウゼヴィッツ)

(第8章 改革時代、285p[1810年8月から1811年6月まで行なわれた陸軍大学での最終講義])
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-09 23:45 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解
ゴールデンウィークが終わってすぐに曇ってきました。雪の中でもボディーボードをするという目標は、はたして・・・(まぁ、体力をつけなくても入ってしまえばいい訳ですが・・・やはり海に入るには何かしら自信が必要なわけです。)

沖縄の問題、中国という現実の脅威にもみくちゃにされ、冷静な分析の本より日々のニュースに目を奪われがちですが、そういう時こそ昔の古典や理論的な分析の本にも手を伸ばしたいものです。

という訳で、今日はクラウゼヴィッツ。

最近は、第5編「戦闘力」に重点を置いて読んできました。この第5編は「戦闘力の使用」に焦点を絞るというクラウゼヴィッツの方針のいわばグレーゾーンともいえる部分です。つまり、「戦闘力の創造・維持」という要素に片足を入れているため、本気でこれを極めようとすると経済、科学などあらゆることに手を広げていかなくてはならなくなります。

クラウゼヴィッツはそれについて警鐘をならしています。「戦闘力の創造・維持」のうち、「維持」(補給・管理・編成などが含まれる)は、軍事行動と同時あるいは交互に活動が行なわれることから「戦闘力の使用」との関連を考慮しながらも取り扱いに慎重を期しています。

この分野では、

●『補給線』(マーチン・ファン・クレフェルト著、中公文庫BIBLO)

という著作が、クラウゼヴィッツに大いに触発された考察として注目されています。戦略は「現実」から離れていくらでも大きな羽を羽ばたかせることができる。しかし、その戦略は、「現実」に打ち落とされてしまうのだという考察です。(クラウゼヴィッツの意見は、第2編第2章9「軍隊の補給」を参照)

さて、第2編第1章のタイトルは「戦争術の区分・兵学の区分」ですが、副題をつけるとしたら「-私たちは戦争の何を分析対象にし、何を除外すべきか-」ということになるでしょう。

「戦争に関連する活動」を2つに分けて考えることが、この章のポイントとなっています。

「戦争に関連する活動」
(1)戦闘力の使用(狭義の戦争術)→考察対象の核心
(2)戦闘力の準備(広義の戦争術)
    (ア)戦闘力の創造・訓練   →考察から除外(と言っても何度か書いてある)
    (イ)戦闘力の維持      →戦闘力の使用とのグレーゾーンであり注意を要する

クラウゼヴィッツは、戦争を理解するうえで最も重要な要素は「闘争」だと考え、闘争の1つの形態としての「戦闘」を戦争における本質的な要素としました。『戦争論』は、勝つ方法について論じているというより、「戦争」を記述し、「戦争に関連する活動」を明確な要素に分け、それぞれの要素の関連を分析しようとする本です。

「戦闘」では、(2)で準備された戦闘力を既に与えられたものとして捉え、考察から除外する方法が採用されています。ただ、与えられた戦闘力をどのようにしたら有効に使用できるか、そして戦闘力の使用によってどのような結果がもたらされるかについてのしっかりした理解が必要となります。先程の分析対象との関連では、それだけを考察するべきだと言っています。

この点では、核兵器の有効な使用とそこから得られる結果・効果について考察した

『核兵器と外交政策』(H・A・キッシンジャー著)

のような研究が政治家などに必要となってくるでしょう。衆議院議員の方々は余裕はないかもしれませんが、参議院議員の方々は地位がある程度保障されているのでじっくりと研究し、その結果を広く国民に公表していただきたいと思います。

(1)「戦闘力の使用」に関する理論

「戦闘力の使用」、つまり戦闘は、1回で終了することはあまりありません。

ナポレオンのロシア戦役(1812年)における戦闘は、ネマン川の突破(6月)、スモレンスクの戦い(8月)、ボロジノの戦い(9月)、モスクワ入城(9月)、モスクワ撤退(10月)、ベレジナ河の渡河退却(11月)、ナポレオンのパリ帰還(12月)など複数の戦闘が発生します。

また各軍団に分かれ、それぞれが部隊に分かれているためそれぞれの戦闘においても複雑なものとなっています。

これが130年ほど過ぎた1941年からの独ソ戦では、戦闘は100近く、それぞれが軍集団、正面軍などに分かれ非常に膨大なものになります。

クラウゼヴィッツは、この「戦闘の単位」について空間と時間という要素から一応のまとまった概念を作っています。

「戦闘の単位」(第5編2章参照)
(ア)空間・・・同時に発生する数々の戦闘では、「個人の命令が届く範囲」
(イ)時間・・・続々と発生する数々の戦闘では、「戦闘の危機が完全に終わるまで」

この「戦闘単位」をどのように組み合わせ、どのように使用するのか考察することが、『戦争論』における核心的なテーマとなります。1800年頃、様々な人が戦略、戦術という言葉を根拠はないものの使い分けてきたことに対し、何か重要なことが含まれていると評価しながらも明確な根拠がないと批判し、クラウゼヴィッツは理論化を試みます。

「戦略と戦術」
(ア)戦略・・・各戦闘の価値を評価・利用すること
    ●戦闘を目的と関連させ組み合わせる活動
    ●目的を達成するため戦闘の使用の仕方を決める活動
    ●戦闘を使用すること

(イ)戦術・・・各戦闘を形作ること
    ●戦闘の組立てと実行
    ●各戦闘での戦闘力の使用方法

この戦略と戦術の概念は、後に見る「戦闘力の維持」というグレーゾーンで複雑な要素を明確に区分するときにも利用されています。

(2)(イ)「戦闘力の維持」についての理論

「戦闘力の維持」は、近年非常に注目されている補給、管理、編成を対象にしているものです。これは、「戦闘力の使用」と同時に行なわれたり、「戦闘単位」の間に行なわれたりするため、「戦闘力の使用」と切っても切れない関係にあります。厳密には、「戦闘力の準備」にあたり考察対象からは外れますが、重要なものとして第5編・戦闘力の部分で綿密な考察を行なっています。

「戦闘力の維持」・・・「戦闘力の使用」との関連で
(ア)関連が深い
    ●行進(第5編10、11、12章)
    ●野営(第5編9章)
    ●舎営(第5編13章)
  →これらは各戦闘の価値の評価という点では戦略的側面、各戦闘を形作ることという点では戦術的側面をもって評価・分類すること

(イ)関連が浅い・・・「戦闘力の使用」に何らかの影響は与える
    ●糧食(第5編14章「給養」)
    ●治療
    ●武器装備の補給(第2編2章9)
  →結果のみを考慮すること

戦略、戦術という言葉は、現在ではさらに幅広い分類がなされていますが、クラウゼヴィッツが考察したように「戦闘力の創造・維持」という膨大な要素を取り入れるものとなっているようです。1人ではなく、幅広い人たちを巻き込んだ議論というものが必要なのかもしれませんね。
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-07 23:43 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解

ロシア極東地域

a0005366_21535852.jpgゴールデンウィーク最終日となりました。今年の連休は天気が良くてよかったですね。ブログの更新頻度も上がってきたのでこの調子で行きたいところです。

連休中、10時から昼まで『関口知宏の中国鉄道大紀行 〜最長片道ルート36000kmをゆく〜』の再放送をやっていました。春編ということでチベット自治区のラサからの出発し、ぐねぐねとまわって西安までというルートです。

すごい旅です。


a0005366_2254213.jpg左の写真は、去年の夏に北京を旅行したときの天安門広場です。帰って中国人の知り合いに見せたら、「まだ毛沢東の写真があるのか!」と少々うんざりした様子でした。

帰りの飛行機の中から、渤海を見たときには、ここが半世紀前には日本の勢力圏だったと思うと時代がどれだけ変わったかため息が出ました。

中国のバブルはものすごい!という話がテレビや新聞などで盛んに言われています。M2(現金通貨+預金通貨+準通貨)の量がアメリカを超え(約94兆円多い)、日本のバブル経済時をはるかに凌ぐ(バブル期はGDPの1.13倍、今の中国は1.9倍)と伝えられていました。(人民元、現預金で米国を1兆ドル超え 中国の“危ういバブル”膨張止まらず[2010/5/2、MSN産経])

経済とは面白いもので、無理に何かを維持しようとすると後で必ず痛いしっぺ返しを受けます。日本の社会保障も最後には2人で1人の高齢者を支えるまで負担が増えるそうです。「社会で支える」制度が、結局兄弟で支えるのと結果は同じになってしまうわけです。皮肉もここまで来ると皮肉として受け取ることはできませんね。

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今日は、ロシアの話です。

「新・冷戦」から急速に改善、米ロ首脳 信頼回復
米ブルッキングス研究所所長 ストローブ・タルボット氏
経済近代化カギ 影落とす二頭体制

(2010/5/4、日経)

「製造業やサービス業がグローバル化すれば、ロシアは世界にとって建設的なパートナーになるだろう。だが、ロシアはなお資源に大きく依存し、低い出生率や高齢化などの問題も抱える。経済の近代化に失敗すれば、政治的な影響も考えないといけない」

 「91年に新潟からハバロフスクを経由して、ウラジオストクに行った際、スラブ系の住民はモスクワ(中央政府)に絶望していた。日本が当時、『日本の一部になりませんか』と聞いていたら、『ぜひお願いする』という答えが返ってきただろう。旧ソ連の末期、多くの共和国がソ連と縁を切りたがっていた。同じようにロシアは今後、経済的に繁栄しなければ、分裂の危機に直面する」

 「ロシアの分裂を好ましいと考えるのは誤りだ。日本はこの問題意識を理解すれば、特に極東でロシアを助けることができる。ロシアも日本の支援を望んでいるが、中国の支援は望んでいない。地政学的にいって、資源を持たず、巨大な人口を抱える国(中国)に依存するのは望ましくないからだ。ロシアには極東の資源開発で日本の支援が不可欠で、そのためには北方領土問題も避けては通れない」

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誰かの知り合いが、ロシアのウラジオストクから新潟経由で来るというので一目会いにいきましたが、その時「シベリア鉄道の旅をしてみたいんだ!」と言ったら、「みんなそう言うけど、やる人は少ない」とうんざりした表情をしていました。いかん話題を間違えたか・・・と思いましたが、「心理的には非常に遠い所」から来た人だったので個人的には満足しました。

さて、大学時代に考えた問題意識は、ロシア極東地域の経済がよくなれば、ロシアは軍を極東にたくさん配置するだろう。だから残念だけども、このままがいいというものでした。

しかし、この極東地域は伝統的には中国の影響圏で、国境を移動させなくても経済的・社会的なコントロールを強めていくだろうという記事を読むと、あの大学時代の問題意識でいいのだろうかという気持ちになります。
The Geography of Chinese Power[2010/4/19、NewYork Times])

そこで、ロシアに投資するべきだと思うと逆の意見が気になるようになります。

「グローバル化の意味が分かっていない!グローバル化は自国に投資を呼び込むことだ」というものです。

しかし、中国の膨張に対する戦略的な投資はやるべきだろうという気持ちに現在はなっています。
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-05 22:59 | 国際情勢
今日も非常に暑い日でした。午後は、海でボディボード、帰ってきてからはニュースや本を読んで過ごしました。ニュースを読んでいると非常にきな臭い記事が沢山ですね。ご紹介するのは映画ですが、第1次世界大戦に至る緊張をうまく表現しているSF映画があります。時間があったらごらん下さい。とてもポピュラーな映画なので皆さんはもう観ているかもしれませんね。

The League of Extraordinary Gentlemen(IMDb)

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中国船、海保の調査船に接近 日本のEEZ内(2010/5/4)

場所:日本の排他的経済水域内、地理的中間線の日本側40km

出来事:海上保安庁の調査船、昭洋(3千トン)が海底の地殻構造を調査中に、中国政府の調査船、海監51(1700t)に追跡された。

主なやり取り
海監51:「何をしているのか。この海域は中国の規則が適用されるので調査を中止しろ」
昭洋  :「日本の大陸棚であり国際的に正当な調査を実施している」

東シナ海ガス田、日中が初の局長級協議(2010/5/4、読売)

【記事の内容ここまで】

今回は、このガス田を巡る交渉前の軍事的なやり取りに当たると言えるでしょう。このような形での交渉にも関わらず交渉場所が北京というのは良くないと思うのは私だけでしょうか。戦国時代ではないですが、力を背景にした出来事では時代は関係ないように思えます。

最近は、英国において地政学を研究している奥山真司さんのブログを頻繁に見ていますが、とても役立つ記事がたくさん紹介されています。幅広い視点から状況を眺めるという点で、ぜひ参考になさってください。



ごく簡単にまとめると、


  • 中国海軍は、沿岸への近接拒否戦略のみならず外洋への展開能力を高めている。

  • 排他的経済水域に対するアメリカと中国の認識が異なっている。



ということになるでしょうか。

ここで排他的経済水域についてまとめておきましょう。

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国連海洋法条約

【第55条】排他的経済水域とは、領海に接続する水域・・・沿岸国の権利及び管轄権・・・その他の国の権利及び自由は、この条約・・・によって規定される。

【第56条】
(第1項)沿岸国は、排他的経済水域において、次のものを有する。

  • 天然資源の探査、開発、保存及び管理のための主権的権利

  • 海水、海流及び風からのエネルギーの生産等の経済的な目的で行なわれる探査及び開発のためのその他の活動に関する主権的権利

  • 人工島、施設及び構築物の設置及び利用に関する管轄権

  • 海洋の科学的調査に関する管轄権

  • 海洋環境の保護及び保全に関する管轄権



【第58条】
(第1項)すべての国は、沿岸国であるか内陸国であるかを問わず、排他的経済水域において、この条約の関連する規定に定めるところにより、第87条に定める航行及び上空飛行の自由(公海の自由)・・・を享有する。

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つまり、排他的経済水域の「排他的」には、沿岸国・内陸国の航行・上空飛行の自由まで排除できるものとはなっていません。先ほどの、中国とアメリカとの認識の違いは明らかにアメリカの主張の方が条約に則っていそうですが・・・(中国が日本の沖ノ鳥島EEZに異議、中国海軍の活動[2010/4/13、サーチナ])

今回の出来事は、日本の排他的経済水域内で起き、日本の海洋の科学的調査に関する管轄権に対し、中国政府の調査船、「海監51」が調査の中止を求めてきたというものです。

地図を見ると分かりやすいので、海上保安庁の「日本の領海等概念図」で見てましょう。

a0005366_2338756.gif日中中間線の日本側での活動について、中国側が「中国の規則が適用される」と主張したので、中国はこの中間線を明確に否定したということになるでしょう。

以前、「中国艦船の演習について」(2010/4/14)という記事で東南アジア諸国と中国の海洋を巡る争いを書いたので是非お読みください。

民主党政権は、駐留米軍に対する対処を完全に間違ったといえるでしょう。その間違いは、日本の主権を危険にさらしています。第2に、対処を誤らなかったとしても日本は厳しい状況に立ちます。私たちが望むような毅然とした政治家が事に当たったとしても非常に長期にわたって厳しいにらみ合いが続くでしょう。

ペリクレスの以下の演説は、駆け引きにおける1つの理想的な形態といえるのではないかと思います。

些細な問題こそ、諸君の決意を確証し試験する一切のものなのである。もしも諸君が彼らに譲歩すれば、この件で諸君は恐怖に駆られて屈服したのだと彼らは考え、直ちに別の更に大きい要求を諸君に突きつけてくるであろう。しかし諸君が断固として拒否すれば、むしろ対等の立場で諸君と交渉すべきであることを、彼らに明確に示してやることになろう。」(トゥキュディデス『歴史』、一巻140 ペリクレスの演説)

しかし、私たちは自国をアテナイのように捉えてはいけません。ラケダイモンとアテナイに挟まれた非常に裕福な島のひとつとみなす必要があります。同盟国の切り換えは、アメリカとの関係で非常に高くつく代償を払うことになります。同盟を切り替えることなく、自国の防衛努力を高めるバランス感覚が必要です。(ただし、アメリカはアテナイほどの決断力と熱意がある国家ではないと思いますが・・・)

普段、普通に過ごしている人たちも憲法改正と軍備拡張の必要性を考え始めたのではないかと思います。皆さんが(特に私に当てはまりますが・・・)、それぞれの人間関係の中で信頼を失わずにこの問題について話し合い、問題意識を共有できるようになれるよう願います。
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-05 00:16 | 国際情勢

ボード

a0005366_23214492.jpg気付いたらこんなにボロボロに。

沖に出て乗るより(私にとっては昼寝用の場所です)、岸辺で炸裂する波が好きなので傷つきやすいのかもしれません。最近は、砂浜がなくなって地中の岩などが岸辺に転がっていることが多くなりました。毎回、底に打ち付けられながら乗っているので気をつけなければ。

運動すると食べる量も増えます。

「まるごとバナナ」を食べても全く後悔しなくなりますね。

いいのかな・・・
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by Naotaka_Uzawa | 2010-05-02 23:26 | 日記・読書・映画

For Future Reference代表。編集者、ストーリー分析など。執筆に挑戦する方とご一緒に活動しています。ブログでは仕事とは少し離れて大学時代から関心のあった国際情勢や哲学、関連書籍について発信しています。


by Naotaka_Uzawa
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