『戦争論』の第1編3章「軍事的天才」では、同編4~8章で考察される「摩擦・障害」に対して必要とされる精神の諸表現が考察されています。
ここでのポイントは、
「理性」と「感情」です。この章を読んでいると、「理性と感情の融合やバランスが大切だ」と割りきってもよさそうですが・・・戦史を読むとき、様々な精神を理解しようとしたり、想像しようというときのガイドになりそうな部分だと考えています。ただ、どんなに言葉を尽くしても、体験した人の領域には達することができないでしょう。クラウゼヴィッツはところどころで「読書人」という言葉を使って戒めています。
よくよく考えると「理性」は、不思議なものです。全体、あるいはそのもの自体を
推論して把握しようとするものだからです。クラウゼヴィッツは、この章の後半の「
地形感覚」の部分で、推論を
想像力に置き換えて話してもいますね。
「
理性 - Wikipedia」の「理性と情動」のところが参考になります。
●理性・・・ゆっくり働き、長期的な利益を考える。大脳新皮質と関連。進化的には比較的新しい。
●情動・・・即座に反応し、短期的な利益(主に生存、繁殖)を考える。大脳辺縁系と関連。進化的には古い部分。
この2つが相互補完あるいは並列的に判断・意思決定に関わっている。
クラウゼヴィッツは決断心の部分で、観察する力[感性・悟性]と感情が別々に強いだけでは駄目だという形でまとめていたり、神経系統の話につながりそうだと予想しています。(ただし、深入りしないで、戦争論の考察対象に絞るよう慎重になっている。)
戦争の場合は、クラウゼヴィッツがいうように感情が非常に重要な要素だがそれだけでは駄目だというのが理解できる説ですね。
日本人の場合、ついつい「その場が治まれば」と相手に合わせて何かをあげてしまうので、もっと「理性的に」生きたいところです。
< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安 >
この章は非常に多くのことを考察しています。読んでいるうちに、今は何を読んでいたのかと迷ってしまわれる方も多いのではないでしょうか?私はワードのアウトライン表示を利用して読んでいました。この方法だとある程度迷わずにこの章の構造を見失わずに読むことができます。かなり文章の構造が深いです。
(2)「戦争において必要とされる精神の様々な表現」の部分はさらに深い構成となっています。この章の一番重要な部分です。
< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安(2) >
まずは第1編第1章28を見ておきましょう。
【第1編第1章28
(1)敵意、反感、憎悪などで非常に激しい状況になるという要素
→主に国民に属す領域(1編1章3)
(2)敵の状況の見込み・可能性を推測・予想しそれに基づいて行動するという賭け事のような要素
→最高司令官と軍に属す領域(1編1章18~22、特に21・22)
(3)政治的な目的を達成するための道具
→主に政府に属す(1編1章23~27)
戦争は、これら3つの要素をありのままの形で考察するべきで、状況によって様々な形で現れてくるからどれかを無視したり無理な設定を作るべきではない。】
[(2)と(3)の関係]
この第1編3章「軍事的天才」は、上記(2)の最高司令官と軍に属す領域でどのような精神的要素が必要となるかを考察しています(1編1章21、「戦争遂行上、必要な精神的力」)。最高司令官の認識は全ての国家関係をしっかりと見通す政治家のレベルまで達していなければならないが、与えられた手段のなかで行動しなければならない点が政治家と異なるという結論になります。
1編1章21では「勇気」が、最も重要な精神的力だとされています。
[(1)と(2)の関係]
国家(あるいは勢力)における、「国際関係と各国家内部の状態」に軍事的天才が出現するかどうかは依存している。理性が発達している勢力ほど、出現する可能性は高い。(1編1章3)
では、少しずつ具体的に、
(1)考察対象となる「天才」とはどういうものか?
天才という言葉は、様々なシーンで使われます。テレビを見ていると非常にたくさんの人を「天才」と形容し、「本当に天才ってこんなにたくさんいるのかな?」と疑問がわいてきます。
ここでは第2編第1章で『戦争論』の考察対象とされた「戦闘力の使用」の領域において優れた運用を行い、結果を残すことです。それに必要な精神的資質を考察することがこの章のポイントとなります。
「
軍事行動を手際よく遂行する際に必要となる、なかなか理解することが難しい精神力」、これがこの章で追求していく対象です。
クラウゼヴィッツは、具体的な考察に入る前に指針を示しています。
「なかなか理解が難しい精神力」というものは、「
理性・感情から現れる様々な精神力が軍事行動に向けて矛盾することなく結合していなければならない。」(例えば、「勇気」はあるのに全体像を把握する「理性」がない場合などは軍事行動に向けた様々な精神力が矛盾し結合していない。)
戦争において精神の、ある要素が目立つことはあっても、決して矛盾していないような精神の持ち主が、ここでの「軍事的天才」ということになります。
(2)戦争で必要とされる精神の様々な表現
>感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>危険
< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安(3) >
ここまで細かいとヘトヘトになりますね。この部分では、「責任を引き受ける勇気」は考察されません。これは、後に見る「決断心」のところで書かれています。
「個人的な危険に直面した時の勇気」を2つの要素に分けていますが、それはそれぞれ違った効果があると考えているためだと思われます。クラウゼヴィッツは、両方の意義を認め比較します。
<それぞれの勇気の効果>
「無関心から生まれる勇気」・・・安定的、永続的、理性
「積極的動機から生まれる勇気」・・・活動力を刺激する、大胆さ、感情(≒理性が曇る時がある)
「
より高い次元の勇気は、両方が混ざり合ったものだ」と書いてあります。
>感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>肉体的な苦痛
→体力、精神力、健全な常識が苦痛を乗り越えるのに必要。(1編5章参照)
>感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>不確実性・蓋然性
戦争において必要となる敵国、軍のすべての事柄を情報といい、予想・行動のための根拠とする(1編6章「情報」)。しかし、この根拠となる
情報の4分の3は霧の中に包まれていて分からない。よって、優れた理性による推論で状況を把握する必要がある。(1編1章10,11,18,19参照)
(計画・予想と実行の間にある困難は第1編6章)