第1編第5章 肉体的労苦

肉体的な苦痛は、戦争における摩擦の最も大きい要素の一つ。


寒さ、暑さ、渇き、飢え、疲労などの肉体的な苦痛は、戦争に大きな影響を与え、判断を大きく歪ませてしまう。そのような状況で下される判断は客観的には正しくないとしても、対象との関係を示しているという点で主観的には正しいと言える。しかし、その判断は、甘く厳密さを欠き、正しい認識を受け入れられない精神的な狭さを抱えている。


肉体的な苦痛は、「戦闘力の使用」に悪影響を与える。


その主な点は以下の2つ。
●戦争で必要とされる理性・感情をだめにしてしまう。
●戦闘力の最大限の使用を制限してしまう。


司令官には、苦労を強制しその状態を長い間維持するという精神力が必要となってくる。


またそれを可能にする技術が必要となる。

•1編3章、「体力・精神力・健全な常識・状況の全体を把握する理性」が挙げられています。
1編8章、演習のあり方


(注意点)肉体的な苦痛を敗北時に語り、敗北の印象を薄めるようなことはすべきでない。これを躊躇する感情は、より高い次元の判断力といえる。
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# by Naotaka_Uzawa | 2010-05-28 00:13 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解

『戦争論』の第1編3章「軍事的天才」では、同編4~8章で考察される「摩擦・障害」に対して必要とされる精神の諸表現が考察されています。

ここでのポイントは、「理性」と「感情」です。この章を読んでいると、「理性と感情の融合やバランスが大切だ」と割りきってもよさそうですが・・・戦史を読むとき、様々な精神を理解しようとしたり、想像しようというときのガイドになりそうな部分だと考えています。ただ、どんなに言葉を尽くしても、体験した人の領域には達することができないでしょう。クラウゼヴィッツはところどころで「読書人」という言葉を使って戒めています。

よくよく考えると「理性」は、不思議なものです。全体、あるいはそのもの自体を推論して把握しようとするものだからです。クラウゼヴィッツは、この章の後半の「地形感覚」の部分で、推論を想像力に置き換えて話してもいますね。

理性 - Wikipedia」の「理性と情動」のところが参考になります。

●理性・・・ゆっくり働き、長期的な利益を考える。大脳新皮質と関連。進化的には比較的新しい。
●情動・・・即座に反応し、短期的な利益(主に生存、繁殖)を考える。大脳辺縁系と関連。進化的には古い部分。

この2つが相互補完あるいは並列的に判断・意思決定に関わっている。

クラウゼヴィッツは決断心の部分で、観察する力[感性・悟性]と感情が別々に強いだけでは駄目だという形でまとめていたり、神経系統の話につながりそうだと予想しています。(ただし、深入りしないで、戦争論の考察対象に絞るよう慎重になっている。)

戦争の場合は、クラウゼヴィッツがいうように感情が非常に重要な要素だがそれだけでは駄目だというのが理解できる説ですね。

日本人の場合、ついつい「その場が治まれば」と相手に合わせて何かをあげてしまうので、もっと「理性的に」生きたいところです。

< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安 >
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この章は非常に多くのことを考察しています。読んでいるうちに、今は何を読んでいたのかと迷ってしまわれる方も多いのではないでしょうか?私はワードのアウトライン表示を利用して読んでいました。この方法だとある程度迷わずにこの章の構造を見失わずに読むことができます。かなり文章の構造が深いです。

(2)「戦争において必要とされる精神の様々な表現」の部分はさらに深い構成となっています。この章の一番重要な部分です。


< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安(2) >
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まずは第1編第1章28を見ておきましょう。

【第1編第1章28

(1)敵意、反感、憎悪などで非常に激しい状況になるという要素
   →主に国民に属す領域(1編1章3)
(2)敵の状況の見込み・可能性を推測・予想しそれに基づいて行動するという賭け事のような要素
   →最高司令官と軍に属す領域(1編1章18~22、特に21・22)
(3)政治的な目的を達成するための道具
   →主に政府に属す(1編1章23~27)


戦争は、これら3つの要素をありのままの形で考察するべきで、状況によって様々な形で現れてくるからどれかを無視したり無理な設定を作るべきではない。】

[(2)と(3)の関係]
この第1編3章「軍事的天才」は、上記(2)の最高司令官と軍に属す領域でどのような精神的要素が必要となるかを考察しています(1編1章21、「戦争遂行上、必要な精神的力」)。最高司令官の認識は全ての国家関係をしっかりと見通す政治家のレベルまで達していなければならないが、与えられた手段のなかで行動しなければならない点が政治家と異なるという結論になります。

1編1章21では「勇気」が、最も重要な精神的力だとされています。

[(1)と(2)の関係]
国家(あるいは勢力)における、「国際関係と各国家内部の状態」に軍事的天才が出現するかどうかは依存している。理性が発達している勢力ほど、出現する可能性は高い。(1編1章3)

では、少しずつ具体的に、



(1)考察対象となる「天才」とはどういうものか?

天才という言葉は、様々なシーンで使われます。テレビを見ていると非常にたくさんの人を「天才」と形容し、「本当に天才ってこんなにたくさんいるのかな?」と疑問がわいてきます。

ここでは第2編第1章で『戦争論』の考察対象とされた「戦闘力の使用」の領域において優れた運用を行い、結果を残すことです。それに必要な精神的資質を考察することがこの章のポイントとなります。

軍事行動を手際よく遂行する際に必要となる、なかなか理解することが難しい精神力」、これがこの章で追求していく対象です。

クラウゼヴィッツは、具体的な考察に入る前に指針を示しています。

「なかなか理解が難しい精神力」というものは、「理性・感情から現れる様々な精神力が軍事行動に向けて矛盾することなく結合していなければならない。」(例えば、「勇気」はあるのに全体像を把握する「理性」がない場合などは軍事行動に向けた様々な精神力が矛盾し結合していない。)

戦争において精神の、ある要素が目立つことはあっても、決して矛盾していないような精神の持ち主が、ここでの「軍事的天才」ということになります。


(2)戦争で必要とされる精神の様々な表現
    >感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>危険


< 『戦争論』第1編3章「軍事的天才」 - 読書の目安(3) >
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ここまで細かいとヘトヘトになりますね。この部分では、「責任を引き受ける勇気」は考察されません。これは、後に見る「決断心」のところで書かれています。

「個人的な危険に直面した時の勇気」を2つの要素に分けていますが、それはそれぞれ違った効果があると考えているためだと思われます。クラウゼヴィッツは、両方の意義を認め比較します。

<それぞれの勇気の効果>
「無関心から生まれる勇気」・・・安定的、永続的、理性
「積極的動機から生まれる勇気」・・・活動力を刺激する、大胆さ、感情(≒理性が曇る時がある)

より高い次元の勇気は、両方が混ざり合ったものだ」と書いてあります。



    >感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>肉体的な苦痛


→体力、精神力、健全な常識が苦痛を乗り越えるのに必要。(1編5章参照)



    >感情と理性が混ざっているもの>摩擦と精神>不確実性・蓋然性


戦争において必要となる敵国、軍のすべての事柄を情報といい、予想・行動のための根拠とする(1編6章「情報」)。しかし、この根拠となる情報の4分の3は霧の中に包まれていて分からない。よって、優れた理性による推論で状況を把握する必要がある。(1編1章10,11,18,19参照)

(計画・予想と実行の間にある困難は第1編6章)
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# by Naotaka_Uzawa | 2010-05-26 22:30 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解

「戦争とは危険なものだ」、「蝶が空気を飛ぶように、魚が水中を泳ぐように、戦争では危険のなかで行動することになる」というように、クラウゼヴィッツは『戦争論』のあちこちで「危険」を強調しています。現在生きている私たちは、確かに2度の世界大戦、アメリカとの戦争などを話や映像を通じて知っているため、この危険を知っているようにも思えますが・・・実際は、おそらく何もわかっちゃいないはず。


戦争論における精神的な事柄を扱う部分は、読書家が語るには荷が重すぎるものです。正直に言うと、非常に後ろめたい気持ちになるものです。(3編1章)平和を声高に叫ぶ人も、実際には「戦争における危険」を知らないため、その後ろめたさを内に秘めているものと考えられます。何事も声高に叫ぶ場合は後ろめたさがあるものなのかもしれません。しかし、仲間同士足の引っぱりあいをしていても仕方がありません。


「もう二度と戦争はしない」という政治的な表現はともかく、個々人の実際上の表現としては「もう二度とあんな思いをしたくない」という素朴なものです。しかし、この実感を伴った世代はおそらく「抑止力」を本能的に体感していたのかもしれません。世代が変わるにつれ、「戦争における危険」を実感できなくなり、「抑止力」が単なる安全保障学を学ぶ人の定義の暗記のようなものになってしまったのでしょう。


これは推測ですが、専門家も実感などしていなかった・・・と考えています。私たち日本人のほとんどが今年に入って実感しつつあるというのが本当のところなのかもしれません。


さて、この章でクラウゼヴィッツは、戦争における危険を読者に理解してもらうため【戦場の近くに来た時→軍司令官・幕僚→師団長→旅団長→交戦部隊】とそれぞれの階層における危険の印象を描きだしています。もう、5年ほど前になるでしょうか、塾で中学生と一緒に、『西部戦線異状なし』を観たときとほぼ同じような叙述をここで読むことができます。


そこでは、砲弾の音への集中、動揺、平静・落ち着きの喪失、呆然など様々な心の状態が描き出されます。


「戦争を知らない人は、実戦での危険を実感できない。戦争を考えると全て単純に見え簡単に勝利できると想像しがちだが、実際は違う。心を高揚・満足させる瞬間はほとんどなく、戦争の経過は徐々に進行するため勝利で歓喜に沸く瞬間もない。最初の危険を通り過ぎると、ほとんどの人が決断力を失うものだ。確かに30分もすればその環境に麻痺し無関心になるが、平静さや心の弾力性を取り戻すことは通常できない。」


戦争における危険は、軍事行動における摩擦の1つだと語ります。


そして「責任が増える(階級が上がる)につれ、精神的な能力の高い人(天才)が必要となる。熱狂的あるいは禁欲的、または生来的な勇気、強い名誉心、危険に対処する長年の経験などを身につけている必要がある。」と、摩擦に対処する精神的な要素を挙げています。


詳細は、第1編3章「軍事的天才」、第2編3章18,19などで軍事行動において必要とされる精神の様々な表現が考察されます。
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# by Naotaka_Uzawa | 2010-05-17 01:05 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解

『アバター』

a0005366_204319100.jpga0005366_20433418.jpg話題になっていた『アバター』を観ました。SF版、『アラビアのロレンス』じゃないだろうか・・・仲間になるまでの苦労はアバターの方がツラそう。

だんだんと本当の自分より自分らしいと感じ始めるあたりは、南国に少しいた経験があるので納得です。帰るのヤダな・・・(笑)
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# by Naotaka_Uzawa | 2010-05-14 20:47 | 日記・読書・映画

軍事史

a0005366_23292670.jpgクラウゼヴィッツ - 戦争論の誕生』(ピーター・パレット著、白須英子 訳)

もし読書に費やしたい時間があるなら、むしろ軍事史を読むことを奨めます。諸君が将来、自分の考えを系統的に整理したり、展開したりする必要にせまられたときだけ、私が推薦した著書(理論の本)をもう一度読めばよろしい。そして『もし自分があらゆる先入観を無視し、紋切型の法則で自分を縛るまいと思うなら、どの著者の言い分が真実か?』と自問してみること。

最後に、諸君がこの講義を時には思い出し、さらに思索を深めることを祈ります。」
(カール・フォン・クラウゼヴィッツ)

(第8章 改革時代、285p[1810年8月から1811年6月まで行なわれた陸軍大学での最終講義])
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# by Naotaka_Uzawa | 2010-05-09 23:45 | クラウゼヴィッツ:戦争論読解