難しいですね。。。

分子唯物決定論。

 なんだか難しいでよね。亀さんが挙げられた問題は哲学上の問題としては解決できたとしても、それが私たちにとって受け入れられない場合はどうなるのだろうかという気持ちになりました。

 現在私が運営しているページをカテゴリーに分けるとしたら、政治とか安全保障とか。。。ということになりそうですが、ここで重要になってくるのが、統治とか支配・被支配という関係です。

 私たちは、きっと、生まれることに意味は無いように思います。私たちが「生まれる」ことに意味を見出すのは、親のほうなのかもしれません。そして、生まれることによって、ほとんど自動的に人間間の関係(社会関係でしょうか?)のなかに入ります。

 この関係で、個々人が直面する問題は、いかに異なった言葉で表現されていても、結局は支配・被支配の関係になるのではないだろうかというのが今のところの意見です。

 大昔では、支配者は神話や宗教的な言葉を使って自然を説明したといいます。タレスの予言した日食が象徴するのは、この支配者が使用していた言葉を無効にしてしまったという意味なのでしょう。結局、デモクリトスやレウキッポスの考え方は、支配者の使う恣意的な言葉を無効にして、各自が合理的な判断を下せるようにするという流れのなかで捉えるべきなのではないかと受け取っています。

 そう捉えると、ソクラテスが哲学に与えた影響は、哲学を支配者の側に引き戻す役割があったのではないかと思います。ペロポンネソス戦争におけるアテナイ側のプラトンの役割は、ラケダイモン側の動きと連動していたという話を聞いたことがあります。

 唯物論という言葉自体、私ははっきりと把握していないのですが、人間の価値を低めるだけということにはならないかも。。。と考えたりもしています。実は、昨日デカルトの『方法序説』を買って読んでみたのですが、その第3部のはじめにこういう言葉がありました。

「理性がわたしに判断の非決定を命じている間も、行為において非決定のままで留まることのないよう、当座に備えて1つの道徳を定めた。

①自分の国の法律と慣習に従う
②行動においては果断であり、疑わしい場合でも、一度決めたらそれに従う。
③運命よりもむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序より自分の欲望を変えるように努める。
④自分にとって最善の仕事を選ぼう」
というものです。

「当座に備えて」というところがミソだと思いますが、このように日常生活では穏当な生活をしたいものです。

なんだか、長くてまとまりが。。。
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by Naotaka_Uzawa | 2004-07-20 00:17 | 哲学・科学