唯物論と統治上の考慮
2004年 07月 19日
こぎと・えるごEすE
私が知っているのは、『ソフィーの世界』にあるデカルトだけで、著作を直接読んだことはありません。ただ、クラウゼヴィッツの著作には哲学という言葉がたくさん出てくるので、知ってみたいと思っています。
私が、訳も分からず読んだ『初期ギリシア自然哲学者断片集』(日下部吉信 著)では、ソクラテス以降では存在の真理は主観性に覆い隠されてしまっている。わずかながら、存在の本当の姿を考察しているのはソクラテス以前の自然哲学者たちだと書かれています。
実際、この本ではデモクリトス、レウキッポスという原子論者の部分で1冊が占められています。今で言う、唯物論なのだろうと思います。
現在では、脳科学という分野が非常にクローズアップされています。結局、この分野では、精神というものは物質の反応に過ぎないということなのかもしれません。私は、なんとなくこれに賛成です。
しかし、日常生活においては、あまりこの事実を感じることなく生きています。どちらかというと、自分の存在や他者の存在を特別なものとして尊重しよう、少なくとも自分の考えを単なる物質の反応だとは考えないでしょう。
多分、私の考えは単なる物質の反応でしかない。。。しかし、統治上の考慮として、そう認識させてしまうと世の中が殺伐としてしまう。だから、人は宗教を、割合は軽重ありますが、ある程度織り交ぜて社会生活を送っています。(例えば、現在の日本人の大部分は、宗教とは意識せずに古くからの習慣として織り交ぜていると考えられます。)結局、それが合理的な考えを持ちながら、社会を安定させる絶妙のバランスとなっているのだと思います。
哲学者にとっては我慢ならないものかもしれませんが、このバランスは統治という観点から言うと非常に重要なものと考えられます。
私が知っているのは、『ソフィーの世界』にあるデカルトだけで、著作を直接読んだことはありません。ただ、クラウゼヴィッツの著作には哲学という言葉がたくさん出てくるので、知ってみたいと思っています。
私が、訳も分からず読んだ『初期ギリシア自然哲学者断片集』(日下部吉信 著)では、ソクラテス以降では存在の真理は主観性に覆い隠されてしまっている。わずかながら、存在の本当の姿を考察しているのはソクラテス以前の自然哲学者たちだと書かれています。
実際、この本ではデモクリトス、レウキッポスという原子論者の部分で1冊が占められています。今で言う、唯物論なのだろうと思います。
現在では、脳科学という分野が非常にクローズアップされています。結局、この分野では、精神というものは物質の反応に過ぎないということなのかもしれません。私は、なんとなくこれに賛成です。
しかし、日常生活においては、あまりこの事実を感じることなく生きています。どちらかというと、自分の存在や他者の存在を特別なものとして尊重しよう、少なくとも自分の考えを単なる物質の反応だとは考えないでしょう。
多分、私の考えは単なる物質の反応でしかない。。。しかし、統治上の考慮として、そう認識させてしまうと世の中が殺伐としてしまう。だから、人は宗教を、割合は軽重ありますが、ある程度織り交ぜて社会生活を送っています。(例えば、現在の日本人の大部分は、宗教とは意識せずに古くからの習慣として織り交ぜていると考えられます。)結局、それが合理的な考えを持ちながら、社会を安定させる絶妙のバランスとなっているのだと思います。
哲学者にとっては我慢ならないものかもしれませんが、このバランスは統治という観点から言うと非常に重要なものと考えられます。
by Naotaka_Uzawa
| 2004-07-19 00:41
| 哲学・科学